2015年3月9日月曜日

「ドブス」脳内宇宙遊泳CDR

Your music is getting very popular in the USA- there are many fans of your work here.
という嘘のようなメールがアメリカのファンから胃画廊に飛び込んできました。
なぜ今ドブスなのか!その全貌を明らかにするのは君の耳次第だ!(ま、ひどいブツだけどね)
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ヘドロメルヘン吉田氏の濃厚なドブスアルバム解説↓
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”時空の深淵:ドブスという名の精神快楽物質製造機”

ドブスが幕の内弁当ならば、ヘドロメルヘンはオードブル食べ放題。
ドブスが市場大介によって丹念に握られたオニギリであるならば、ヘドロメルヘンはすき焼きを作ろうと買い出しに出かけたものの途中立ち寄ったラーメン屋で転がってきたドラム缶から飛び出したエイリアンに連れ去られた時間。
ドブスが脇目もふらずにせっせと録音作業を続け頭の中にある音像世界を丹念に作り上げた市場大介によるスカイツリーならば、ヘドロメルヘンは中学生が悪のりしてガソリンスタンドに火をつけて逃亡中にうっかり紛れ込んでしまった地下世界。
でもそこはかとなく寂しい世界は共通だ。ふざけていながらも、やがてその楽しい時間も過去の物となってしまう事が嫌という程分かっている妙に冷めた大人の目線。楽しかったね、あの時は。そう呟いてゆっくりと瞼を閉ざしていくように、全ての思い出が美しいセピア色となって記憶の底へとゆらりゆらり沈んでいくような、そんな哀切感。

美人画家:市場大介の初のソロアルバムとなるドブスは、弾き語り/ノイズ/コラージュ/モンドミュージック/実験音楽といった、黄泉の国へと誘う桃源郷ミュージックである。一見するとカオスと不条理に満ち溢れた異次元音響にも聞こえるのだが、二度三度と繰り返して聞いていくうちに、その内側に秘められた切なさやなんとも言えない寂しさ、そしてユーモアに溢れた編集技術から、あちらこちらに市場大介という人間性が垣間見えてくるような気がしてよく分からぬままほっこりした気分にさせてくれる。
そもそもドブスのアイデアはヘドロメルヘンよりもずっと前から生まれていたようで、思い立っては少しづつ録音をして音源を制作していたとのこと。ノイズと、ノイズ的な何かの中間を行ったり来たりの模索を繰り返す中、その道程にポロリポロリと産み落とされた隠し子、というのも変だけど、音楽的なカテゴライズから逸脱したまさに神童とも呼ぶべき申し子たちが水面下で行軍し、いつのまにやらクーデターを起こさんばかりに現実世界へと表出してしまったかのようだ。たぶんそれは、音楽に対する既成概念であったり、教育やメディアから無意識の内に擦り込まれた価値観であったり、社会でまかり通る偽善的な行為や言動に対する憤りを、あなたの中で何かを変革させる要素となり得るかもしれない。
市場自身、九十年代は音楽活動も盛んに行っており、近年でも自身の個展のイベントでは弾き語りでオリジナルソングを披露したりしている。全くの音楽素人で無い市場が、今現在サウンドに対して持ちうるアイデアと、美人画家として活動する多忙な間に作り出した時間と、音楽のセオリーを全く無視して自分自身で録音して編集したという労力の賜物であるこのアルバムに、興味が湧かないはずがない。音楽を一つのジャンルで括ってしまう事程下らなく創造性に乏しい行為はないと思うのだが、ドブスに関してはもはや市場大介というジャンルで括るしか他の表現方法が見つからない。それ程までに市場臭灰汁の滲み出した純正良/悪品であるのだ
 。とりわけ、演奏/作詞/作曲はもちろんのこと、レコーディングから編集、ジャケットアートワークなど、アルバムのプロデュース作業を全て自身で行っているというだけで、自ずと期待感が増してしまう。フォークノイズバンドであるヘドロメルヘンが、音楽をデタラメ愛してみたら思わぬ方向にパラレルワールドが出現してしまったような複雑怪奇現象であったのに対して、ドブスは落とし穴を仕掛けるようなギミックがほとんど皆無である素直な一枚画、要するに直線的に音響世界が進んで行く脳内剥き出しとも言える純粋な市場大介ワールドである。
2013年には『badaism』という自身初の豪華ハードカバー本を上梓し、巷の書店にも市場大介の本が並べられる時代になった。当然のことながらドブスのサウンドは『badaism』の世界観とリンクし、極上のサウンドトラックとしても機能している。また、市場大介の頭を開くと自ずと鳴り響く想念の残響音を、現実の時間軸に置き換えることに成功した実験作とも捉える事ができるのだ。
たとえばストーリーを作らずに思い付きで漫画を書き始めたとしても、全ては俺の中から浮かび上がった世界だから、自ずとストーリーが結びつき終着点へと繋がって行く。以前、市場がそう口にしていた事があったが、本アルバムも全体を通して聞くと一貫したストーリー性が浮かび上がってくる。市場が優しく教え諭すように始まるフォークソングの一曲目「人」、突如パリへと時空を超え市場のギターノイズがシャーマニックさながら交霊術を繰り広げるかのような二曲目「paris」、軽快なリズムでダンサブルかつスペイシーで煌びやかな三曲目「イヨガール」、歪んだシンセノイズが渦巻くような酩酊感を作り出し徐々に崩壊して何か光を見いだすような四曲目「indo11111」、このアルバムの中で唯一アッパー
系でみんなが手をつないで踊り出したくなるような五曲目「どっち」、切なげなアルペジオに夕暮れの似合いそうなハーモニカが涙を誘う哀愁歌六曲目「ESSLD」、現代音楽的なアプローチでギターとピアノをモチーフにノイズ音響にこだわった七曲目「ギターec」、八曲目「ピアノec」、そして後半戦の幕開けは以前からYoutubeにも投稿されていた少年のような純粋さと残虐性が表裏一体となった九曲目「希望」、ブルースへヴィロック的なアプローチで眼前に紫の煙が舞い上がるような重厚感溢れる十曲目「オカネヲアゲタイ2」、カオスパッドを主体とした徹底してハーシュノイズスタイルにこだわった連作集の十一曲目「五月二十九日1」、十二曲目「五月二十九日2」、十三曲目「五月二十九日3」、アンニュイ
さと辿々しさがない交ぜとなった現代人の煩悩を描く十四曲目「般若心経」、テクノミュージックをベースに少女の叫び声が儚げに木霊する灰色の未来を予見した十五曲目「midaregami」、変調された市場のボイスが黄泉の国へと昇華され心身共に浄化されていくような十六曲目「disconow」、そして全てが幻であり時空を巻き戻して青年期から幼児、果ては母体へと回帰されて大円団を迎えるような最終曲「逆回転」。全てがドラマチックな展開を含み否が応でもイメージが頭の中に思い浮かぶ。市場大介の作り出したそれら楽曲群が私たち自身の内的体験を増幅させ、極私的なインナーワールドへと誘う瞑想音楽だと言えよう。